昨日、日本テレビの深夜番組
【ワケあり!レッドゾーン】という30分番組に出演いたしました。
私も16年間も唐辛子一筋でやっていますので、もちろん唐辛子関係の内容です。
30分間フルに主役として出演させて頂きました。
【世界の唐辛子文化・料理を日本に広める使命!】のためです。
【ワケあり!レットゾーン 唐辛子】というキーワードで検索して頂ければ、動画があります。よろしければご覧ください!
昨日、日本テレビの深夜番組
【ワケあり!レッドゾーン】という30分番組に出演いたしました。
私も16年間も唐辛子一筋でやっていますので、もちろん唐辛子関係の内容です。
30分間フルに主役として出演させて頂きました。
【世界の唐辛子文化・料理を日本に広める使命!】のためです。
【ワケあり!レットゾーン 唐辛子】というキーワードで検索して頂ければ、動画があります。よろしければご覧ください!
唐辛子たちとの出会い
世界には約3000種類以上の唐辛子があることがわかり、私達の食しているものはそのごく ごく僅かであることがわかりました。これは、何とか世界中の唐辛子を日本中の人々に知ってもらいた いな・・・と尊大な夢を持ち始めました。
そんな時、1999年の8月、「日本テレビ」の朝の情報番組で世界の唐辛子を栽培研究しているとこ ろがあり紹介されていました。スタジオのキャスターが、今では有名な「ハバネロ」を生で食べさせら れていて「悶絶」している映像・・・(笑)。それを見て「うらやましい・・・・」と、つぶやいている 私(笑)。当時は、「ハバネロ」の名前すら珍しく、まして生で食べられるなんて本当に貴重なものでし た。
早速、テレビ局に問い合わせをして施設の名前を教えていただき、連絡して、担当者とお会いすること ができました。そこは神奈川県の農業試験場でした。
今でも覚えています。8月の灼熱の太陽の下、休日にも関わらず担当者の方が出勤して頂き、圃場に 案内して頂きました。
そこには60種類以上の世界の唐辛子が試験的に栽培されていました。私が今まで本の世界でしか見た ことのない、唐辛子が現実に目の前にあったのです。今では有名になった「ハバネロ」も何種類も栽培 されていました。それはもう、嬉しくて嬉しくて・・・。
私は口の感覚がなくなるほど、60種類以上の唐辛子を味見しました。今では笑い話ですが、真夏の太 陽の暑さと唐辛子の辛さで失神しそうになりました。
そして唐辛子畑は辛さ以外に、もう一つ他の作物畑にはない魅力がありました。それは畑が美しいとい うことです。その時の第一印象は、「なんてきれいな畑なんだ!!」。
唐辛子の実の大きさが、小指の先の大きさのものから10センチはある唐辛子、細長いものから丸い ものそして、実の色が素晴らしく、赤や緑、黄色、オレンジ、紫、畑は虹色に光っていて本当に息を 飲むほどの美しい光景でした。
私は、一応・・・農学部出身ですので、大概の農作物の風景は知っていましたが、これは今まで見た ことがない「宝石箱みたいな畑だ!!」と・・・。夕日に照らされた真っ赤な実は本当に「赤いダイヤ モンド」のようでした。
私が唐辛子に魅せられたのは、もしかすると辛さよりも畑の美しさだったのかもしれません・・・。
当店は、母体が白鷹ソース株式会社という会社です。
昭和6年に東京の下町、江東区深川で創業しました。
社名の通り黒いウスターソースを主に製造販売しておりました。
その後、各種タレや漬物の調味液も製造販売するようになりました。
1998年頃、キムチブームが始まり漬物会社さん向けに大量のキムチの素を製造販売するようになりました。 私が工場長の頃、「キムチの素」の需要はさらに伸びましたが、困った事がおこってきました。 キムチの主原料である「唐辛子」の品質が一定せず、辛さにバラツキが生じたり、色のバラツキ (赤過ぎたり、赤黒くなり過ぎたり・・・)が生じたり・・・。
まさにクレームと返品の山でした。
世の中のキムチブームで「唐辛子」の需要が急に伸びたために、良質の「唐辛子」の供給が追いつかなかったようです。
いくらスパイスの輸入商社にお願いしてもなかなか思うような良品質の唐辛子は手に入りませんでした。 これは何とかしなければ・・・。
実はそこからが現在の「唐辛子への道 ハクタカ」の開店につながっていくのです。 「唐辛子」は、当社の創業商品であります「ウスターソース類」にも使用しています。 しかし、使用量が僅かなことから私はその知識がほとんどありませんでした。 これは業者さん任せにせず、独自で勉強をするしかない。
と、まず「唐辛子」に関する様々な資料・本・雑誌を読みあさりました。どの位読んだでしょうか・・・。 とにかく、題名に「唐辛子」「とうがらし」「トウガラシ」「辛い」「激辛」といった文字があれば 全て買って読破しました(笑)
一番感銘を受けた本は、インド人の【アマール・ナージ】氏の書いた【トウガラシの文化誌】という本です。
この本の帯が面白いでしょう!【「第五の味覚」の謎と快楽】【やめられない、とまらない。覚醒と陶酔。歴史を変え、人生を熱くする強力な魅力】です!(笑)
この意味については、後日この【店長ブログ】で書きます!
そして、この本【トウガラシの文化誌】や他の様々な資料・本・雑誌を読んだ、その時の感想・・・
「うぅんんんんーーー唐辛子って面白い!!」という、 なんと表現してよいか、最愛の恋人にでも出会ったようなトキメキでした。
「こんなに面白い食材が世の中にあったんだーーー」。
「唐辛子ってこんなに種類があったのか・・・」。
「唐辛子って世界中で一番愛されている食材かも・・・」。
「世界旅行に行って世界の唐辛子を食べてみたいなーーー」。
「唐辛子に一生関わって生きたい」
とすでに「唐辛子マニア」へと変身していました(笑)。
私は今から16年前の1999年から唐辛子の魅力にとりつかれ、2000年に白鷹ソース(株)内に唐辛子プロジェクトチークを発足させました!
ブログを始めるにあたり、まず当社の唐辛子の使命を明確に致します。
■ プロジェクトチームの本格始動
2000年1月1日元旦の新聞、某全国紙に「地球は辛口文化圏」という世界の唐辛子食文化を紹介 した記事が掲載されました。ミレニアムの元旦の一面です。正直びっくりしました。また、唐辛子の 辛味成分である「カプサイシン」も世の中で騒がれ始めました。そこで、社内に「唐辛子プロジェクトチーム」を発足させ、その後、神奈川県農業技術センターと2000年4月より3年間共同研究をやりながら、30数軒の農家さんとも契約栽培を始めました。
■ 新たな決意
なぜ、「唐辛子プロジェクトチーム」まで発足させたのか・・・。
最近まで日本では唐辛子は七味や一味のように少量をそばやうどん、料理に使用するだけでした。
七味や一味に加工するだけなら唐辛子を乾燥して保存するので、人件費の高い日本で栽培することはない、中国などの海外で安く生産し保存しておけばよい訳です。
しかし、昨今の外食や料理を見渡してみると唐辛子は七味や一味だけの使用ではない。本当に唐辛子を多く使用した料理が多くなってきた、しかしそのほとんどがタバスコなどをはじめとした海外 からの輸入品です。
そこで、「自社で国内契約栽培をしよう!」そして「国内で商品を製造しお客様に販売しよう!」。
そして、「世界の唐辛子文化・料理を日本に広めよう!」
そんな思いからプロジェクトチームを発足させました。
チームの「目的」は、
「世界の唐辛子文化を日本に広めます」
「唐辛子の無限の可能性を引き出し、楽しさとおどろきを提供します」
この気持ちで皆様に「唐辛子文化・料理」をご提供するべく、商品開発、商品発掘に取り組んでいます。
唐辛子との出会い、そしてこれから・・・
を投稿していきます。
是非、ご購読ください。